日常生活の西洋化が進んで久しい現代の日本においては、『和の生活』から離れて生活することに慣れてしまっている人がほとんどではないでしょうか。
しかし、実は昔の日本人が普段使いしていた『和』の物には、日本人の知恵がたくさん詰まっていて、今も役立つものがたくさんあります。
今回は、そんな日本人の知恵を活かしつつ、創業から100年以上経過した今もなお、時代に適合した作品を生み出し続けている、株式会社髙岡の代表取締役 髙岡 幸一郎 様に取材させていただきました。
洛中高岡屋のこだわり
帯のおじゃみ
フランスのフレグランスメゾン Diptyque とのコラボレーション
(ディプティック・ジャイル・表参道)
髙岡の軸
創業当時から我々が受け継いでいる『企業としての軸』は、職人がひとつひとつ手作りしたものを扱うということです。これが基本であり一番の軸です。
ただし、最近ではこれに加えて、下記3つの軸も確立していこうと考えています。
①ミッション:会社として成し遂げたいもの
我々の『ミッション』は、〝みんなが笑顔になれるようなことを成し遂げる″ことです。
②ビジョン:ミッションを成し遂げるために、会社としてあるべき姿
そして、①で掲げたミッションを成し遂げることができる企業とは、
〝人々の思いやりと細やかな手仕事によって、寛ぎを与えるものづくりを続けることができる企業″
だと考えています。
③バリュー:①②を実現するために働いている我々がやるべきこと
さらに①②を実現するために、ここで働く我々は、技術力、企画力、行動力を磨く必要があると考えています。
この3つの軸『ミッション』『ビジョン』『バリュー』を忘れることなく、ものづくりを続け、職人がいいものを作り、これから先も皆様に良い物を提供し続けられる企業でありたいと考えています。
技術力、企画力、行動力
我々の会社は大きく分けてプロダクト部分とプランニング部分があります。プロダクト部分とは一般的なところでいう生産部で、プランニング部分とは営業部です。
『バリュー』を高めるためには、プロダクト部分とプランニング部分の両方において、技術力、企画力、行動力を磨く必要があると考えています。
プロダクト部分において考えれば、いかに無駄を省いて良い物を早く作るか、それを常に色々なことを考えながら行動するということがプロダクト部分の技術力、企画力、行動力を磨くということにつながってくると思います。我々は芸術品や工芸品を作っているのではなく、「伝統的なものづくりの技術に基づいて商品を作り、それをお客様に提供する」のであるから、できるだけ多くのものを作っていきたいと思っています。そのためにプロダクト部分の技術力、企画力、行動力が必要になると考えています。
物を売るためにはプランを作らなければいけません。企画をしてプランを作り、それをお客様に提案することを我々は営業活動と考えています。プランを作るところに、具体的にそこに携わっている人がそれぞれのアイディアをもって企画力を作っていかなければなりません。
なので「こうしなければいけない。」ということは我々はあまり決めていないのですが、それぞれ個人が自分でいかに技術力、企画力、行動力を高めていくかを考えていくことが非常に大切だと思います。
与えられたことをこなすことも、それはそれで良いとは思います。しかし、より多くの人たちに、自分たちが持っている良い情報を、より多く届けるためにはどうしたらいいか、ということを考えていくことが大切だと思っています。
布団の歴史
京都独特の風習と昔の家庭における布団
実は私にとって、布団というものは「職人が作るもの」という印象がありません。私が小さい頃はまだ、一般家庭で家の人たちが布団を作っていた由です。それも家庭で作られる布団であっても、夏用と冬用では生地を変えて作っていたと聞いています。
京都は、“夏暑くて冬寒い”という特徴があります。そこで京都では、季節によって家の中にある建具を替えるんです。夏はできるだけ風通しがいい葦簀(よしず)のような建具を使い、冬になると襖に替えて風が通らないようにします。
人が夏と冬で衣替えをするのと同じように、京都では夏と冬で家の建具も衣替えする風習があるのです。それは布団も同じで、夏に使っている布団を、冬になれば冬用に替える、夏になれば夏用に替えるというようなことをやってきました。
「布団作り」は家庭から職人へ
もともと布団は、一般の家庭でも、その家の人たちが自分でメンテナンスすることができましたし、夏用と冬用で生地を変えることも自分たちでやっていた様です。なので、布団を作ることに、難しい技術が必要なわけではないと思っています。しかし、今は皆さんがこのようなことをする機会が無くなり、技術が忘れられてきたことで、今では職人が作るもの、布団は買うものという認識になったのだと思います。
家業を継ぐということ
幼い頃から布団づくりがある環境で育つ
私はずっと布団づくりが行われている環境で生きてきたので、布団は嫌いではありませんでした。ただ、小さい頃からずっと布団を見て育ち、大学を卒業して仕事をするときに「この見慣れた布団を扱う仕事に就きたい。」とまでは思いませんでした。
むしろ、どちらかといえば違う仕事に就きたいと思っていました。
商社への入社
私は海外に興味があったので、総合商社に入社しました。私が配属された部署は、布団とは全く関係のない、化学薬品などを輸出する部署でした。当時、今から50年近く前になりますが、日本の医薬品原料は日本国内では非常に多く使われていたものの、世界的にみるとトップブランドのヨーロッパやアメリカの医薬品原料のワンランク下という位置づけでした。価格的にもヨーロッパやアメリカの医薬品原料より安かったため、何とか市場に食い込もうというのが私の仕事でした。海外出張の機会にも恵まれて、非常にやりがいのある仕事でしたし、5年目には、たまたまタイに駐在する話もいただきました。
父の激怒が転機に
私は当然タイへ行きたかったので、両親に黙って話を進め、決まった時に初めて父親に報告したのですが、海外に駐在するなんてことは全く頭になかった父親は、本気で「なんでそんな勝手なことをするんや。」ととても怒っていたのを今でも覚えています。父親が興奮しながら怒る姿は、今まで見たことがなかったので、私もとても驚きました。
父親の中では「何年か自分が好きな仕事をやって、いずれは帰ってくるのだろう。」という期待があったのだと思います。ところが、東京どころかタイという全然違うところに行ってしまうことになり、このまま帰ってこなかったらどうしようと思ったのでしょう。
そのような父親の姿を目の当たりにして、このまま喧嘩をしてタイに行ってしまおうかとも思いましたが、今までそこまで怒った父親を見たことがなかったので、タイは諦めないといけないなと思いました。
家業を継いで今思うこと
タイに行くことを諦めた時に思ったことは、「自分が海外で働くことは二度とない」ということです。ただ、上手くいけば、海外で働く人を送り出す企業にはなれるかもしれないと思いました。
タイに行っていたらどんな人生が待っていたのかは分からないですが、今こうして家業を継いで活動しているのは、自分の選択の結果なので、決して後悔することはないです。
そうは言っても、正直、これから何十年も同じものを見ていかなければいけないのかと思ったときに、他のものの方がずっと格好よく見えることもありますし、もっと違うことをしたいと思うことも沢山あります。でもやはり根本的にこの仕事が好きなのでしょうね。だから色々なものを考え出すことが出来たのだと思います。
家族経営について
規模にもよるとは思いますが、小さい規模の家族経営の場合、小さい頃から常に商売と接して過ごすことが多いと思います。
物心つく前から自分たちの商品に触れ、それがどのように作られているか、またどのような人が作っているか、そしてどのような人に販売しているのかを間近に見て育つことになります。なので、知らないうちに体にそれらが染みついていきます。
これは、家族経営の良いところでもあり悪いところでもあると思っています。
中にはそういうものから解放されたいと、違う道に進む方もいらっしゃいますし、逆に、そこをもっと盛り立てようということで同じ道に進む方もいらっしゃいます。
いずれにしても、他の働く方たちとは異なるベースを持って仕事に入っていくことになります。
ビジネスには、必ず良い側面と悪い側面が存在しますが、幼いころから見て育ったそれらの両側面を、いかに受け止め良い方向に変えて取り入れることができるかが、非常に大切だと思っています。
私の長女も今一緒に仕事を始めてくれていますが、おそらく小さい時から仕事の良いことも悪いことも見たり聞いたりしていたと思うので、それらをひっくるめて良い方向にもっていくことができれば非常にありがたいなと思っています。
「工芸」と伝統的な手作りについて
「工芸」とは
「工芸」という言葉の意味を調べてみたのですが、「工芸」とは“高度な熟練技術を駆使して作るもの”と書かれておりました。京都には伝統工芸品が沢山あります。しかし、座布団は伝統工芸品には入っていません。
では何故入っていないのか。
座布団や布団はかつては、一般の家庭でその家の人が作っていたものだったからではないでしょうか。綿は製綿屋さんから買い、夏用・冬用の布を自分たちで縫って綿を入れる。つまりお布団作りには、「工芸」にあたる“高度な熟練した技術”がそれほど必要とされていなかったんだと思います。
「工芸」でないことの強み
逆に、「工芸」に当たらないことの強みもあります。それは、「工芸」になってしまうと、それなりに熟練した技術を使わないといけないということです。この“熟練した技術”が必要になると、携わる人が減ってきてしまうのも分かるような気がします。長い間その道を極めるために色々と努力をする、そういう人たちが今の時代には減ってきてしまっているんですよね。
我々はそこまで熟練した技術は要りません。なので、若い人も入ってきやすいのではないかと思います。
たとえ一般の方でもできる技術だったとしても、それが一旦途絶えてしまうと、復活させるのには物凄くエネルギーが必要になると思います。細々だったとしても、脈々と続いていくことで、見て学ぶことができます。我々は工芸という領域にはいないかもしれませんが、“伝統的かつ手作りのものを作っていく”ということが大切だと思っていますし、興味を持ってくれるような人たちにいかに働いてもらうかが大事だと思っています。
若い世代への訴求
現在は、若い世代に興味を持ってもらえるような情報発信を心がけています。
縫う作業や最後の仕上げの作業は洋裁や和裁と通ずるところがあります。今も、お布団の仕上げの部分をやってもらう人は、和裁学校の生徒さんに求人案内を出して来てもらっています。もう昔のような綿を入れる仕事をしている人はなかなか居ません。そういう仕事自体本当に少ないです。しかし、そういうことに興味を持ってくれる若い人たちが、うちに来てくれて育ってくれることが、非常にありがたいことだと思っています。
今度は、そうやって育った人たちの仕事のやり方を見て、この仕事に興味をもって来てくれる人が増えていってくれたらいいなと思っています。そんな気持ちを込めて、HPにも若い人が作っている姿を積極的に出すようにしています。
海外展開について
海外進出の第一歩は香港
私は自分がもともと商社で海外と仕事をしていたので、海外との繋がりは今の事業の中でもなんとか持っていきたいと思っています。その想いは、タイに行くことを反対した私の父親も同じでした。
我々はずっと百貨店の大丸さんと一緒に仕事をしてきたのですが、大丸さんは非常に早くから海外に目を向けられた百貨店さんで、大丸さんが海外初進出として香港に店舗を出された際には、私たちの製品も一緒に置いてもらいました。
当時は、父も、香港でお布団がそんなに売れるとは想像もしていませんでしたが、香港の方が好きな色や柄を考え、鳳凰や龍の柄が入った、赤くて光る色のお布団を持って行ったところ、色や柄が縁起物だとのことでたくさん輸出することができました。それからは年に数回、お布団の商談のために香港へ行ったり、香港の方が日本に来たりする機会がありました。
展示会から始まる海外展開
私どもの商品の拡販方法は、元々は百貨店経由がメインでしたが、百貨店以外にも販売ルートを広げようと考えたときに活用したのが展示会でした。東京で開催された見本市に出展した際、お客様が我々のブースに来て、名刺を交換させてもらいます。名刺を交換される方は興味を持ってくれている方がほとんどなので、その名刺の連絡先に連絡することで販路を拡大することができます。販路拡大の方法のひとつとして、国内でこの方法が上手くいったので、海外でも、まずは展示会に出て我々の商品を海外のお客様に見てもらい、興味のあるお客様と名刺を交換するというスタイルがスタートしました。
日本流を見せるのか、海外のスタイルに合わせるのか
最初は、床に座るという日本人のライフスタイルを海外の人たちにも広めたいと思っていました。靴を脱いで床に座るというライフスタイルを、靴を履いて暮らす人たちにも「一回やってみてよ、きっと面白い、違った世界が見えるよ。」という想いで我々は商品を持って行っていきました。しかし、そこで感じたのは、「やはりライフスタイルを変えるということはそんなに簡単にできることではない」ということでした。
そこで、海外の方のライフスタイルを変えようとするのではなく、そこで暮らしている人たちのライフスタイルに我々の商品がどのように利用してもらえるかを考えてやっていかないといけないと考えなおし、今は海外のスタイルに合わせるようにしています。
実際、展示会では、床に座布団を置いて皆がワイワイ言って凄く楽しそうな場面も沢山ありました。しかし、それはその場だけの出来事で、自分たちの生活の中に取り入れるとなるとやはり無理があるのではないかと思いました。
コロナ禍に見出した可能性
コロナの影響で海外との取引が出来なくなったときに、我々が力を入れたのがインターネットです。英語版のホームページと英語版のショッピングサイトを作成し、そこで情報を発信していくことに注力しました。
コロナによる大きな影響のひとつとして、海外と国内との壁が無くなってきたことが挙げられると、私は思っています。今までは、自分たちが海外に行かないと出来なかったことが、海外へ行かなくても、様々なものを駆使し、日本に居ながらにして海外の人と話したり、提案したり、売買したりすることが「できる」のではなく「そうせざるを得ない」環境になりました。これは本当に大きな変化だと思います。
現在、メインになっているのは英語を使ったホームページとショッピングサイトですが、今後は中国語も使って、情報の発信やビジネスの構築に力を入れていこうと考えています。
商品を購入してもらうためには、まずはより多くの人達に知ってもらうことが凄く大事だと思っています。
日本人の知恵
気候風土と自分たちの生活を一緒にする日本人の知恵
日本人は知恵を沢山出して生活する人だと思っています。ひとつ良い例が夏の布団です。まだエアコンなどが普及していないときに、日本人はどのようにして涼をとればいいかと考えたのだと思います。そうだからといって、全部服を脱いで寝てしまえば、寝冷えをして下痢をしてしまいます。
ですから、いかにお腹を温めて涼をとるか、そう考えたときに放熱しやすいところ、すなわち「手や足は出す、でもお腹は温める」ということを考えたのだと思います。そのためには小さい布団にした方が良いよねということで、私たちが小さい頃には、一般的には150×200の掛け布団のサイズが、120×160という本当に小さい布団が夏用の布団としてありました。日本人は、このように“日本の気候風土と自分たちの生活を一緒にする”という凄い知恵を沢山持っていました。
おじゃみ座布団が誕生したきっかけ
そういう昔の日本人がたくさん持っていた知恵を、今の時代に合わせたものにしたらどうかというのが、私の発想でした。現在、洛中髙岡屋を代表するほどの人気を誇っている『おじゃみ』もそうです。私が若いときに宴会に行った際に、あまり長く座っていられないので女将さんに「すみません、もう一枚座布団を持ってきてください。」と言って、座布団を半分に折って座っていたという経験がありました。「何とかお尻を上げる方法はないだろうか。」というのがおじゃみのスタートでした。
おじゃみとは
そもそも『おじゃみ』とは、関西でお手玉を意味する言葉です。日本にはお手玉の形がいくつかあり、有名な形だと俵型や座布団型などがあります。他国にもお手玉は存在しているようです。一体いつから存在していたのか、私にも分かりません。しかし長く残っているものは、洗練されて残ってきたものなので、凄く良いデザインのものが多いと思います。
おじゃみは、伝統的なお手玉と同様に4枚の生地を縫い合わせ仕立てることで、日本独特の知恵と美意識を受け継いだ商品になっています。
しかも、この形を作るためにいろいろな工夫が施されています。我々が使っている座布団や布団などはみんな平面です。平面に綿を入れて布団は出来ているのですが、お手玉の形をしたおじゃみは立体です。この立体に綿を入れる技術が、布団の綿入れ技術にはありませんでした。なので、このおじゃみのデザインを座布団にするためには、職人たちのたくさんの知恵が詰まっていますし、この商品ができたことは物凄く嬉しいことだと思っています。
過去の素晴らしい知恵を今の時代に合わせる
戦後の高度経済成長以前に日本人が色々考えた生活の知恵には素晴らしいものがあり、それを今の時代に合わせて作ったらどうなるかということを考えて作っていった結果、今我々が作っているようなものが生まれたような気がします。
なので、これからも、以前の日本人が考え持っていた知恵をもっと思い起こし、今の時代に合わせるにはどのように変えていったらいいかということを考えていきたいと思います。