CMを見た方も多いのではないか?
「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」で知られるカステラの老舗、文明堂。
2020年の今年、創業120年を迎える、老舗中の老舗企業。
100年以上歴史のある文明堂の舵取りをする社長・大野進司氏に、これまでの歴史、そしてこられからの展望についてお話いただき、老舗企業の真髄に迫りたい。
<大野進司氏のプロフィール>
株式会社文明堂東京代表取締役社長
1975年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業
1998年三菱電機株式会社入社
2003年株式会社ルネサステクノロジに転籍
2005年株式会社文明堂新宿店に入社
2010年のれん分けで別会社として運営してきた株式会社文明堂日本橋店と合併し、株式会社文明堂東京発足
暖簾分けした別会社である株式会社文明堂日本橋店と合併、株式会社文明堂東京の代表取締役社長に就任。
文明堂グループの中核会社として、カステラを始めとする和洋菓子のブランド展開を図る。
2013年2月、文明堂東京が目指すおもてなしを表現した新店舗を、日本橋室町にリニューアルオープン。ギャラリーや「BUNMEIDO CAFE」も併設。
カステラは和菓子でも洋菓子でもない
私はカステラを洋菓子でも和菓子でもなく、南蛮菓子という捉え方をしています。和菓子は、室町時代以前よりある、お饅頭や大福に象徴された小豆系のお菓子であると認識しています。一方で洋菓子は文明開化以降の明治時代に伝わってきたお菓子だと思っています。
では、カステラは、いつ日本に渡ってきたかというと戦国時代、キリスト教や鉄砲と共に伝わったと考えています。同時期に日本に入ってきたものは、天ぷらだったり、金平糖だったりします。そのため和でも洋でもない「南蛮菓子」と捉えています。
面白いのは、百貨店さんに文明堂のカステラを取り扱って頂いていますが、百貨店さんによって店舗が「和菓子」コーナーにあったり、「洋菓子」コーナーにあったりと、振り分けられています。カステラというのは、和でも洋でもないそういった意味では普遍的でシンプルなお菓子として位置づけられているのではないかと思っています。
「ピンチを機会」に変えてきた歴史
これまで、数多くのことを経験してきました。創立者の宮﨑甚左衛門の本が残っていますので、読んでみると非常に興味深い出来事が記されています。1900年に長崎で創業し、その後に創業者の弟(宮﨑甚左衛門)が佐世保で独立しました。これが私どものルーツになります。
当時佐世保は軍港だった為、海軍をお客様として商売をしていました。ところがワシントン海軍軍縮条約(1922年:各国海軍の戦闘艦艇の数や、主兵装の火砲の口径、排水量などに制限を設ける条約)により海軍が減ることになり、どうしようか?と宮﨑甚左衛門が悩んだ末に出した答えは東京へ進出しよう、でした。
記録によるとこの決断が早かったようで、数週間で決め、夜行列車に乗って東京に出てきたと。これは想像の域を超えませんが、お客様が一気にいなくなり、「もうダメだ」と思うのではなく、「新天地でやってみよう!より大きな市場でチャレンジしよう」という気持ちこそピンチを機会に変えたのではないかと思っています。
東京に出てきたからも、トラブルがなかった訳ではありません。
当時、某百貨店さんと一緒にビジネスをはじめました。文明堂のカステラとしてではなく、その百貨店のカステラとして、文明堂が作っていました。ある日、百貨店さんへクレームが入ったそうです。「カステラにカビが生えていた」と。
当時、賞味期限は書いていません、販売日も書いていません。なので、いつ販売されたカステラなのか、いつ製造されたカステラなのかが分かりませんでした。そこで宮﨑甚左衛門は考え、今では当たり前になっているある手法を思いつきます。
それは、「お客様の目の前で作り、お客様の目の前でカステラを詰める」という実演販売でした。できたてであること、その場で箱に入れることを目の前で見れば、お客様も納得していただけるだろうと思いついた手法です。デパートにおける実演販売は、文明堂が日本ではじめて行ったと言われています。
この話も、如何にピンチを如何にチャンスに繋げるかという話として、文明堂に残る歴史だと考えています。
「カステラ一番、電話は二番」の宣伝秘話
誰もが聞いたこと、見たことがある、文明堂のCM。このキャッチコピー実はオリジナルではありません。元ネタがあるそうで創業者の本にも記されていますが、宮﨑甚左衛門が大阪に行った際に「肉は1番、電話は2番」とキャッチコピーを出して宣伝しているすき焼き屋があったそうです。これに感銘を受けた彼は東京に戻りすぐに、各地域の電話の2番を取得したと話が残っています。
“たまたま、用があって大阪に行った時、晩飯を食べようと思ってタクシーに乗り、「運転手さん、肉は一番、電話は二番と云う店があるそうだが、そこへやってくれ給え。」というと、「ああ、宗右衛門の本みやけでしょう。」といって、すぐにわたしをつれて行ってくれた。そこで、わたしは晩飯を食べながら、女中たちにいろいろ話をきき、その宣伝の威力につくづく感じ入ったわけであった。こうして、わたしは、電話の二番をあらゆる犠牲を払って集めたのである。現在の文明堂の標語は「カステラは一番、電話二番」である。これは、云いかえれば、値打ちあるものをつくれ、名を残すものをつくれと云うことである。
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E%E5%A0%82
覚え方もさることながら、お客様が「文明堂に注文したいけど、何番だっけ?」と言って電話帳を持ってきて調べるという手間を省くこともできる。こうしたお客さまを考えた手法を、一貫しておこなったのが創立者でした。
匠の技術と言語化
カステラは「卵、小麦粉、砂糖、水あめ」の4つの素材でできています。とてもシンプルだからこそ、最良の原材料を使い、最高の技術をもって、最高の商品を作ろうと日々研鑽しています。このカステラを作る上で最も重要な工程が「中混ぜ」と言います。型に生地を流し込んだだけでは形の整った綺麗なカステラは焼き上がりません。職人は木ベラを使って、生地を3回混ぜて、形を整えながら焼き上げる手法が「中混ぜ」です。
この「中混ぜ」の工程の言語化に少々、時間がかかりました。昔ながらの職人は背中をみて覚えろ!ですから・・・(笑)。でも話していくと、温度を均一にすること、空気を抜くこと、この2つが「中混ぜ」において重要で、これができれば綺麗な形のカステラができると。
社長になりたての頃は、こういった言語化によって様々な仕事を分解していきました。これによって、若い人たちに言葉として伝えられるメリットを感じました。
会社統合する上で大事な心構え
自分の人生は客観的に見て面白いなと思っています。
人生を変えてくれた仕事に立ち合ったのは、28歳の頃に前職で経験した会社統合の仕事です。新しい会社をいかに上手くスタートさせるか、という未来しか見ない仕事に対してワクワクしかありませんでした。もちろん中ではドロドロしたことをやっていましたが、弱音を吐かず、前を向いて働く先輩たちを見ながら会社を創る経験をしました。この仕事が今の自分を作ってくれました。
この仕事は文明堂に来てからも活かされます。2008年に「文明堂日本橋店」と「文明堂新宿店」を合併しました。一度、前職で経験しているので、会社の合併がどういうことか、分かっています。
一言で言うと、会社統合は「人の気持ちを統合する」ことだと考えています。お互いの気持ちを聞いて、心を開くことが大事だと。
生き方を決めた出来事
現在、およそ1000人のスタッフを抱えています。その家族を含めると3000人くらいでしょうか。外部環境の変化がある中でスタッフの生活や幸せを守るのが自分の仕事だと、その覚悟は持っています。責任感ですかね。これは、正に自分の生き方です。だた、その覚悟を決めたのは、社長になった瞬間からではなく徐々に、です。
ある日、「論語」の中から幸福について書かれた箇所を抜き出すという宿題が娘に与えられたようで、一緒にやることになりました。そこに書かれていたのは「幸せとは生き方を決めた人が、それに従って粛々と生きていくこと」。これを読んだときに、とても腑に落ちました。
どんなときでも誰かは周りにいます。目の前にいる人を幸せにできたら、色んな人を幸せにできるのではないか?と考え、どんなに辛くて嫌なことがあったとしても、目の前の人を幸せすると思えばストレスはありません。娘のおかげで、生き方を決め、覚悟ができました。
自動化、機械化について
自動化についてはシンプルな方針を持っています。それは、人がやることによって付加価値が生まれることについては人が、それ以外のことは自動化や機械でカバーしていきたいと考えています。
例えば先ほど話した「中混ぜ」という工程は機械でやることもできるかもしれません。実際に機械も見ました。しかし、文明堂のカステラを作る上では根幹部にあたります。中混ぜの理論だったり、手の動きだったりを機械に任せることは、根幹部を失うことと同じです。つまり、文明堂のカステラのDNAは終わってしまうことを意味します。
ですので、この工程は職人がその日の温度や湿度を感じつつ、中混ぜをし、お客様に最高の商品を召し上がって頂くというのは、人がやる意味と付加価値がありますし、失ってはいけない技術です。一方で、出来上がったカステラを裁断し、箱に詰めるまでの工程は機械に任せることでリスクを抑えることが可能になります。
店舗の販売員に対しても同様に思っています。笑顔で接客することがコアな部分で、お客様のニーズを拾い、聞き出す能力は付加価値にあたります。幾らWebで通信販売できるからと言っても、店頭でお買い求めになりたいお客様も一定数いらっしゃいます。こういった方々に対して圧倒的に支持してもらえる文明堂の販売員を育てていきたいと思っています。そのためには、バックヤードの仕事は自動化、IT化を進めていかなければいけません。
コロナ禍での向き合い方
自粛期は言うまでもなく、百貨店さんでの売上は落ちました。ただ、スーパーに置いてもらっている商品は平常時と比べ売上があがりました。どうしてか?と調べていくと、みなさんSTAY HOMEなのでいつもよりも美味しいもの食べたいね、ということで選んで頂いたと。 これまでどちらかと言うと、お中元やお歳暮と言った贈答用として購入いただく機会が多かった文明堂のお菓子を、少しカジュアルに家族内でつながるお菓子としても認知いただけるようにしていくことが、コロナ禍における我々の取るべき方向性かと考えています。主戦場は「人を繋ぐお菓子」であることですが、より近い範囲で繋ぐこともできるのではないか?そういった考えです。
120年続いた企業が目指す未来
我々、文明堂が失ってはいけない想いは「人々の幸福の追求」です。これは理念にも掲げてある通りです。この手段として、色んな方々をお菓子で「つなぐ」ことで達成できると信じています。いくら時代が変わろうが「人と人を繋ぎ、幸せになるためのツールを作って販売する」ことは変わりません。
もしかすると、販売するものは変わっていくかもしれませんが、この想いを持ち続けていれば200年、300年続いていく企業になれると考えています。