width=

大切なひとの大切なものを包む
丸もの漆器の老舗企業が受け継ぐもの
「株式会社ヒロセ」

 width=

230年にわたって福井県鯖江市河和田で丸もの漆器を作り続けてきた老舗企業、株式会社ヒロセ。大量生産の時代を超えて、温かみのある製品を作り続けています。
今回は、そんな、越前漆器の伝統を受け継ぎ、河和田の土地で漆に愛し愛されてきた、株式会社ヒロセの大石様にお話をお伺いいたしました。

230年続く丸もの漆器の老舗企業として

 

創業は1788年になります。230年というなかなかの歴史がありますが、越前漆器自体が1500年もの歴史があるんです。うち(株式会社ヒロセ)は創業当時からお椀を中心とした丸物を製造していました。

大量生産の時代が終わり人に寄り添える製品を

 

戦前まで、うちは漆塗りのお椀の製造をメインにしていたのですが、戦後の高度経済成長期に突入してからは生産需要が追いつかず、木よりも安価で大量生産可能なプラスチックを使い、塗装も漆より安価で短期間で生産できる化学塗装でお椀を作るようになりました。うちだけではなくそういった合成漆器に事業転換していく会社は多かったですね。
どんどん越前漆器業界の方向がレストランで使われるような量産品の生産に向かっていったんです。
まさに作れば売れるという時代でした。でもバブル崩壊、大震災などを経て、世の中の人々の意識は変わっていきましたよね。
そんな中で、私は「もっと温かみのあるもの」「人に寄り添えるもの」を作りたいと思うようになり、ここ10年ぐらいで今までの概念にこだわらない商品作りを考え始めたんです。

 

越前漆器小筥「curumi」

“想いを包む”をコンセプトに作った欅の小筥(こばこ)。
天然の木で作られた球形の丸い形が人の心に癒しと温かみを与えてくれます。
色は、拭き漆 こげ茶、拭き漆 茶、木地呂、ナチュラルなどお好みの色を選ぶことができます。

 

「curumi」に込められた想い

 

最初は、人生の節目で大切な「何か」を入れる器を作ろうと考えていました。
それが婚約指輪だったらどうだろうとか、なんとなくで考えていました。
そんな中、当時、続けて義理の両親を亡くしたことがきっかけで、故人の思い出が詰まった、大切や遺品を収めるメモリアルケースとして、あるいは骨壺として使えないだろうか、という思いが強くなっていきました。
というのも、私たち夫婦が暮らす福井と、関東にある義実家は離れているので、気軽に墓参りすることが出来ません。
そんな状況から、お墓に行けなくても何か故人を感じられるものがあればいいんじゃないか、それなら遺品を入れられる物があったらいいんじゃないかと思い至ったのです。

 

本当に大切なものを入れる形

 

「curumi」を丸くしようと思ったのは、もちろん見た目の可愛さもありますが、もともとうちはお椀から始まっているので、やっぱり丸もので作っていきたいという思いは強かったです。
どういうわかけ、角ものよりも丸ものに惹かれますね。
「curumi」は、自分の大切なものを入れる器です。今まで作ってきた食器に拘らずに、丸を活かして漆器特有の温かみを感じて欲しいのと、(両手で丸い形を包み込むように)思いを込めて欲しいということで、まず掌に包める大きさで試作してみました。持ち運びやすいよう更に小さくしようとしたのですが、流石にこの大きさよりも小さくするのは難しいということでこの大きさに落ち着きました。

 

確かな職人の技術とシンプルな球形に込めた想い

 

材料は、福井県産の欅(けやき)を使っています。
球形に近い「curumi」は、なかなか面倒で作りたくない形だと思います。
実際、すごくシンプルではありますが、丸い形にするためには、丸物の木工職人さんが轆轤(ろくろ)で回して挽いて作ります。なので、一つ一つほぼ同じ形、同じ薄さに仕上げるのはとても大変です。しかしそれが出来てしまうので、日本の職人の技術は、本当に素晴らしいです。
それに加え、私のこだわりである「蓋と本体の木目を繋げる」ために、共木を使って挽いてほしいという、面倒な要求にも応えてもらっているんです。
蓋を閉じた時に木目が繋がることで、見た目にも美しいし、なによりも職人の技術の高さを証明することも出来るかなと。
もちろん、そこにあんまりこだわりすぎてもどうかな?と自分でも思うんですけど。
それでも木目のデザインが繋がっていることで、「大切にしたい物と一緒に大切な人といつまでも繋がっている」という想いを込めました。

 

河和田という漆の産地で代々続く家に生まれて

   

今でも残っている蔵があって、昭和の40年代ぐらいまでは、蔵が仕事場だったんだと思います。私は子供だったから入れてもらえなかったのですが、今でも乾燥室(ムロ)はそのまま置いてありますし、漆を混ぜたりするのに使っていたと思われる大きな木の樽なんかも残っています。
私の亡き祖父は、伝統工芸である日本の漆器に重きを置いていたので、全国の漆器産地をまわって、その産地の独特の技法のものを求めて集めることが好きだったようです。
越前漆器組合の理事長も経験し、産地の漆器のことが何よりも第一で、漆器に関するいろんなことを書き留めていたことを記憶しています。
生前は祖父に漆器に関する話を聞きに来る人も多かったですね。
昔は、職人をたくさん育てて、育った職人がまた若い職人を育てて、代々受け継がれていくという自然な流れがありましたが、今は受け継いでいくということが本当に難しくなりました。

 

漆文化を継承していくために

 

河和田(越前漆器産地)の職人は派手さはないけれど、堅牢な仕上げは得意だと思います。
漆を綺麗に塗るって、決して簡単ではありません。
例えば白木地に黒を塗って仕上げるとした場合、筆で一度塗ってみれば分かりますが、そのまま塗れば、はじいたり、吸い込んだり、埃が付着したり、まあ散々な出来にしかならないと思います。
最後の綺麗な仕上げまでに、下地の木地固め、錆埋め、中塗り、上塗りという工程があり、それぞれの工程の合間には必ず研ぎの工程もあるわけです。
最後の上塗りをするためには、埃が付かない工夫が必要で、漆を何回も漉したり、なるべく空気が動かない部屋で塗ったり。それでも埃が付着したら、鳥の羽の先を尖らせたもので、一つ一つ丁寧に取り除くんですが、場合によっては最初から塗り直しなんてこともあるんです。
温度湿度で、乾きや色の出具合も違ってくるので、極端に言うと、晴れた日に塗ったものと翌日雨の日に塗ったものでは、同じ漆を塗っても同じような仕上がりにならないということも考えられます。
とにかく奥が深い。そして簡単じゃないところが私には興味深いんです。

 

昔はもっと専門的な作業をする職人さんが分かれてたんですが、だんだんといらっしゃらなくなってしまって。
誰かが継承していかなくちゃいけないと思いますし、やっぱり漆器の産地として、ここ河和田は残っていてほしい。
たとえ会社がなくなっても、誰かが受け継いでいてほしいなと思います。
全国の他の漆器産地も、同じように後継者問題に悩んでいると思います。今後は、手を取り合って技術の継承を行っていけるといいなと。
若い時は全然そんなことを思わなかったのに、今は本当に。ここ最近ですよね。ここ10年。まだ人生何10年かあるし、私も出来る事で頑張ろうって。

 

漆を愛する人たちとの出会い

 

漆器を残すために頑張ろうと開始した活動の一環として、漆器の良さを知ってもらうためのブログを始めた時に、修理の問い合わせが増えていきました。その流れで、修理専門サイトを起ち上げ、10年以上経った今では毎日全国から問い合わせが来るようになっています。
修理をしてくれる漆器屋さんが少なくなったことと、デパートなどで修理を断られたりするという事情で探していらっしゃいます。
他の産地の漆器屋さんでも、うちではできないから、ということでヒロセを紹介してくれたりもします。
実際、産地を超えて、越前漆器以外の土地の、独特の技法で作られたものについては、完璧に修理するのは難しいですが、直せるものは直してというスタンスで、できるだけお引き受けするようにしています。何代か受け継がれた古い漆器だったり、刀の鞘だったり、普段使われている汁椀やお弁当箱などいろんなものが送られてきます。口コミや、リピーターのお客様も多いです。
漆器修理を通して知ったのは、漆器をすごく大事にしている人、漆器が好きな人、漆器に愛着を持ってる人って私が思っていたよりたくさんいるんだなあと。そういう人に触れ合うことで、私も、「ああやっぱりこういう漆器の良さを伝えられたらいいな」と改めて思うようになりました。
きっと、この経験がなければ、「curumi」の商品開発はなかったと思います。

 

越前漆器の歴史を引き継いで

 

漆器組合の110周年で作った記念誌があって、丸もの師のところに広瀬の名前が書かれています。長く続いてきて、でも、代々これを守りなさい。これだけは引き継いでほしいとか、そういうことは言われてません。
時代の流れで、需要があるものを作ってきて、それでも私たちの時代はこうやって好きなようにできるけれども、それ以前はやっぱり先代がやってきたことをずっと守ってきたんだろうなと思います。
企業理念というものではないかもしれませんが、これだけはずっと言われ続けてきました。
「お客さんは大事にしなさい」

私は今、何よりも修理の仕事が楽しいんです。最初は分からないことだらけですごくプレッシャーだったんですけど。
それこそ知識も経験も足りなくて、分からないことがあるたびに職人さんの作業場まで通って。
きっと、「そんなことも知らないのか」と呆れられてもおかしくないような些細な事も、丁寧に教えてもらったおかげで、なんとか現在に至ります。
修理の仕事は、日本全国の色々な漆器を見させてもらえるし、いろんな人の思いにも触れられて、とても楽しいです。それに加えて、修理した漆器をお届けすると、身に余る感謝の言葉までいただいて。そうなるとどんどん仕事にもやりがいが出てきて面白くなってくる。本当に良いことがたくさんなんです。

修理の仕事をしていたら、さらにどんどん興味が湧いてきて、自分でも漆が塗ってみたくなったんです。それで、今、越前漆器産地の職人たちが運営している職人塾に通っています。ここで漆塗りの下地から教えてもらって自分が作りたい漆器を作っています。普通に考えても、とても恵まれていると思います。今年で四年経ちましたが、漆塗りの師匠がいる限り、ずっと続けたいと思っています。ただ、職人を目指しているわけではなく、漆をもっと楽しみたいという気持ちなんです。それと、漆塗りの工程を経験し、時には失敗もすることで、修理の仕事に活かすことができることも大きいですね。
私は漆器屋に生まれ育ったおかげか、漆にたいして免疫があるみたいで漆に触れても全然大丈夫でした。最初はおっかなびっくりだったんですけど、2年目3年目からは一部の作業を除いて素手でするようになりました。手袋をすると感覚がわからなかったりするので、もうほとんど素手です。
この漆の文化を守っていくとか、そんな大層なことは考えていませんが、一人でも多くの人に漆の良さを知ってもらいたいし、出来れば漆を塗ることを体験して、楽しさを共有できたら嬉しいです。

>>ホンモノストーリー動画はこちら

関連記事