皆さんは「日本酒」といえばどのお酒を思い浮かべますか。
山形県にある蔵元、出羽桜酒造株式会社様は、「吟醸酒のパイオニア」として知られ、「吟醸酒ファンで出羽桜を知らぬものはいない」というほど有名な蔵元ですが、鑑評会やコンクールでも多くの実績を残しており、名実ともに評価の高い蔵元です。
今回は、そんな出羽桜酒造株式会社の代表取締役社長 仲野益美様にお話を伺いました。
創業から100年以上。今も受け継がれる“企業としての軸”
私どもは130年の歴史を有する蔵になりますが、大切にしていることが2つあります。
それは“不易流行”と“挑戦と変革”です。
1つめの“不易流行”とは、変えてはならないことと、変えなければならないことをしっかりと見極め、判断し、行動していこうということです。
2つめの”挑戦と変革”とは、不易流行の延長線上にあり、守るのではなくて、行動し変えていくということです。
私は、伝統を変革していくことで、初めて歴史は繋がっていくと考えています。ですので、この2つをとても大切にしています。
現状維持ではなく“挑戦・変革”を
厳しい時代になると、「現状維持でも素晴らしい」といった言葉もよく囁かれます。しかし私は「現状維持は衰退だ」と思っています。一歩でも半歩でも前に行って成長していかなければいけない。変えないことは確かに楽です。でもやはり変革すること、挑戦すること、それは、苦労や壁が生じるため大変な部分もありますが、その分必ずいい結果につながっていくと考えています。
自社精米にこだわる
私達蔵元がお酒を造る過程の中で、唯一無くてもお酒造りができてしまうものが精米です。しかしこの「精米」というのは、お酒造りのスタートでもあります。このスタートというのはとても大切で、精米をするとその年度のお米の氏素性がよく分かるようになります。
例えば精米の時間が通常より長い場合には「お米が硬い」、逆に通常よりも短い場合には「お米が柔らかい」という判断をすることができます。
自社精米にこだわり、自社の精米所で丁寧にお米を磨くことで、お米を洗う担当の蔵人が「今年の米はこんな特徴がある」という情報をいち早くキャッチできるようになる。これが再現性のある酒造りにつながるのです。
また、自社精米にこだわることで、粒選別機を使って自社でお米の選別ができるのも強みになっていると思います。自らのお酒に使うお米を自らの基準で選別する。高い基準を設けて精米することができるのは、自社精米にこだわるからこそだと思います。
お米には千粒のうち、青米や未熟米を取り除いた重さを量って判断する「真精米歩合」と、見た目で判断する「見掛け精米歩合」と、見掛け精米歩合から真精米歩合の重さを引いた「無効精米歩合」という、3つの精米歩合があります。先ほど述べたように自社精米だと独自の基準で選別できるので、良いお米だけを使って造ることができます。一方業者に依頼した場合、不用なお米などが取り除かれずに精米されるので、委託に頼れば頼るほど無効精米歩合の割合が多くなっていきます。目には見えない、数字には出ない部分ですが、そういった面でも、自社精米にこだわることの強みがあると思っています。
精米をすると熱を帯びるため、水分が飛び、内部の水分含量が少なくなります。そこでお米に空気中の水分を吸わせ、水分分布を平均にし、その後の作業に適した水分量にする必要があります。そこで「枯らし」という、お米の種類や磨きによって20日〜1ヶ月ほど、お米を枯らす期間が必要になります。精米を委託した場合、委託業者に枯らし期間の間、保管をお願いすることができません。ですから、蔵元に見学に行った際には、精米機はないとしてもお米を置くスペースがあるかどうかが大切なところです。
それ以外にも、いろいろな農家の方が作ったお米を、混ぜないで単体で使える点も強みだと思います。最近はお米の種類だけでなく産地や稲作農家まで重視されていますよね。自社で精米することによって、そういった細かい振り分けができることも、自社精米をすることの良さではないでしょうか。
「米買い屋にはなるなよ」父から受け継いだ“ 出羽桜酒造 ”としての責任
また、親父はよく「米買い屋にはなるなよ」と言っていました。飯米に転用できない酒米を仕入れる時に自分の都合の良い米だけ購入し、等級の悪いお米を断ろうとするのは造り酒屋ではなく「米買い屋」だと。蔵元は稲作農家の方々と共に歩むことが大切であると。ですから年によっても異なりますが二等米も何%か入ってしまうのですが、でもそれで何もしないと一等米以上だけを使うところに負けてしまう。それを打破するために導入したのが、粒選別機です。
そういう共存共栄の考えは、長く会社を在存させていくために大切なことだと思います。
確かに等級の悪いお米が無い方がスマートで分かりやすいとは思いますけど、“2~3%あることの責任の重さ”を感じることも重要だと思うのです。そうは言っても、やりすぎると後継者たちに怒られてしまいますけど、分かりにくいですが、この良き伝統を繋いでいかなければいけないと思っています。
それから、会社に戻ってくると分からないことばかりで、仕入れに走るんですよ。すぐに結果が出ますから。親父は「お前のような出来の悪い息子に限って仕入れに走る」と。「余計なことはせず、まずは酒造りをやれ」と言われましたね。酒蔵は造りが原点ですから。
開発した技術はオープンに
私どもの酒造りは手造りで、機械化は遅ければ遅いほど良いと思っています。ただ、手造りにこだわるための道具や機械は入れていこうということで、酒造りの前後の工程には結構機械が入っています。
例えば脱気装置。うちは生酒が非常に多い蔵ですが、より良い品質で貯蔵するために、お酒の酸素を抜こうと考えました。また、大手の蔵元さんの場合、どう流通・販売されるか把握しきれませんから、常温流通可能な生を出そうとします。そうであるならば、私たち中小・地酒メーカーは常温流通できない生を出すのが務めだろうと思い、脱気を考えました。
しかし、当時は日本酒用の脱気装置がなく、三菱レイヨン(現・三菱ケミカル)株式会社様と共同開発し、3年くらい試行錯誤を繰り返して、ようやく導入するに至りました。そして良いものは皆で共有するとの思いで、あえて特許は取りませんでした。
オープンにすることの意義
こうした全ての蔵元さんにとって良いことは、オープンにするようにしています。技術というのは、ベールに包んでもいつかは必ず並ばれますから、それならばオープンにしておいた方が、大切な真の情報も入ってきますし、また次を考えるようになります。その分変革も早まると思うんです。
やはり本業で利益をあげられるようにしないと長く続かないと思います。業界としても最盛期の四分の一になってしまいましたし、「自分の蔵だけが良い」ではなく、長いスパンで見て「業界全体が伸びている」その方が将来が明るいと思うんです。
そんな想いで私どもは、20名を越す後継者を研修生として受け入れ、2~3年のスパンで研修して頂いています。共に力を合わせ日本酒を盛り上げていきたいと思っています。研修生も出羽桜の大切な財産です。
化粧品SK-Ⅱの香り成分のモデルに
我が社は吟醸酒に古くから力を入れている蔵で、特に香りが非常に豊かであるとの評価をいただいております。そのような中でSK-Ⅱが香りつきのボディクリームを出すにあたり、私どもの吟醸酒の香りをモデルにしたいとお声がけくださいました。
日本酒というと、味や香りといった品質や成分、数字的な部分について語られることが多く、美容や健康とは結びつきが薄いようにも思います。しかし私共としては、さまざまな角度から日本酒の良さに振り向いてもらいたいと思っていますので、このようなお声がけはとても嬉しく思います。
実際、SK-Ⅱをきっかけに知ってもらう機会が増えましたし、お声がけ頂くことも増えましたので、このように違った業種の方に取り上げていただいて、そこから日本酒に目を向けていただけることはとても良いことだなと思っています。これからも異業種とのコラボを積極的に取り組んでいきたいと思います。
造る喜び
実は、私は、元々商社で働きたかったのです。しかしそれを知り合いの商社マンに話したところ、「仲野さんは最終商品を造れるんだから幸せじゃないか。」「私たちは最終商品は造れないんだから、そこの喜びはしっかり感じるべきだ。」と言われ、目が覚めました。
“喜びは造って半分売って半分”という表現がありますが、売るだけで酒造りをやらなければ喜びは半分もないと、今は思っています。
造り酒屋の蔵元に産まれた喜びは、やはり酒造りに関わることができるところが大きいと思います。うちは代々、「オーナーは必ず酒造りに関われ」という家訓がありますし、せっかく関わるならば、一番手間暇やノウハウの詰まった大吟醸のお酒を造らなければいけないと考えています。大吟醸はコンクールで争うお酒ですから。
うちは今まで22名の蔵元の後継者を研修生として受け入れていますが、多くの研修生が来てくれるのも、手造りに徹し、蔵元自ら製造をしているからこそだと思います。コンクールで研修生に成績が抜かれることもあります(笑)
そこで師匠として研修生には負けられないと思うわけですね。切磋琢磨できる環境があることは素晴らしいことです。
勝ち続ける喜びももちろんありますが、そういった敗れた悔しさも大切なんですよ。コンクールで入賞し続けている時は変えにくいですから、落ちた時こそ、それまで溜めていた変革ができると思っています。
評価を受け続ける理由
品質
まずはやはり品質ですね。のどごしに抵抗感が無く、透明感のあるお酒であること。そこに、良い香りがあったり華やかさがあったり。品質としてはそういう点が評価されていると思います。
チャレンジ精神
それから、常にトライをして色んな商品を出していることも評価されている点だと思います。お客さまは色んなお酒を飲みたいと要望されていると思いますし、うちの製造陣も色んなお酒を問いたいと考えています。顧客志向が大切であることは間違いありません。
それだけではなく、やはり酒造りに一番詳しいのはマニアの方ではなくてメーカーだと思うのです。こんなものを造ってみました、こういうお酒もありますよ、こんな楽しみ方もできますよ、そういう誘導する力のあるメーカーでありたいと思っています。
実際、今まで挑戦的なものを結構出してきました。生酒も早かったですし、薄濁りや古酒、スパークリングなんかも前からやっています。
なかなか上手くいかなかいことも多いですが、さまざまな分野で挑戦を繰り返してきた、その挑戦の延長線上にお酒があって、お客様にこういうお酒を飲んでいただきたいと思ったものをいち早く商品化してきたことが評価につながったのではないかと思っています。
地元での評価
それから、「地元の方に飲んでいただけるお酒でなければならない」という強い思いも、最終的に国内外で評価されることに繋がっていると思います。海外の大都市や東京で「美味しい」って言ってもらうのは、実はそこまでハードルが高いことではないんです。ですが、大吟醸からスタンダードまであらゆるお酒を常に飲み続けている、地元・山形の皆様は日常飲み続けている確かな舌と判断基準をお持ちですから、こちらのハードルの方が高い。この山形の皆様に日々鍛えられていることが、東京や海外での高評価に繋がっているのかなと思います。
山形のお酒はそれぞれが個性と特長があり、一括りにできないんです。そういった色んなものを飲み比べている県民の皆様の味覚というのは、本当に素晴らしいと思います。
環境保全活動・社会貢献活動について
そもそも日本酒は一番無駄のないアルコール飲料だと思っています。「その民族の国酒を見るとその民族が分かる」という言葉が業界にあるのですが、やはり日本酒も日本人を写す鏡だと思います。
まず、造る過程で捨てるものが一切ないんですね。米糠も酒粕も全て再利用なわけです。容器に関しても、一升瓶に関しては、8割は洗ってリサイクルしています。
このような、日本酒の無駄がなく環境にやさしい部分をPRできれば、SK-Ⅱのように違う角度からの、この場合であれば環境分野からのアプローチができるのではないかと思っています。
それから、私共は山形の自然の風土環境があって、お酒を造らせていただいていますので、この風土環境を維持するために出来ることをやっていこうと思い、早くからノー包装運動に取り組み、2014 年には出羽桜クリーンエネルギー発電所もスタートさせました。
また、社会貢献の一環で公益財団法人出羽桜美術館を設立し、地域文化に少しでもお役に立てればと思っています。
国際展開に向けた取り組み
始まったばかりの輸出
輸出に関して、うちは1997年から始めたので、今年で25年になりますが、それでも地酒メーカーとしては「すごく“昔”から頑張ってますね」とよく言われます。今、私が委員長を仰せつかっている『日本酒造組合中央会の海外戦略委員会』という委員会が立ち上がって十数年ですから、輸出は本当に始まったばかりですね。
それでも輸出は希望の光で、ここ12年連続、コロナ禍であっても前年を下回ったことがないんです。金額で言えば業界全体で400億円にもなります。米加工品としては優秀です。これからも日本酒の魅力、奥深さを世界に発信していきたいと思います。
世界のアルコール飲料へ
ただ地域としては、ヨーロッパへの輸出に苦戦しています。特にフランス、イタリアの人たちは自国の料理とワインに誇りを持っていますから、そこを突破するのはなかなか厳しいですね。ヨーロッパで認められないと世界のアルコール飲料にはなれませんから、もう少し頑張っていかなければいけないと思っています。
一方、アジアやアメリカはすんなり入っていくことができたので、そういった成功しているところにだけに輸出することは短期的には確かに良いのですが、日本酒が世界のアルコール飲料になるためにはそれではダメなんですね。
私たちは自ら耕しに行って、種を蒔く役割を担わなければならないと思っています。
そして、海外戦略委員長をやっていながら、英語はできないのですが(笑)、通訳がいなくとも思いは伝わっているなと思うことがあります。私は言語ではなく、日本酒に対する誇りと自信、そして何より情熱こそが大切だと思っています。
国際展開に向けた基準作り
基準に関していえば、山形県の日本酒は、GI(地理的表示)を、県単位としては日本で一番早く認定を受けました。最近では、輸出先の方々も国内の評価や地元の評価を気にされるようになってきていますし、“産地”のイメージが、これからは非常に大切だと思っています。
しかし「基準作り」という観点からすると、GIはまだ、ピラミッドで言えば底辺の部分のところだと思っています。山形県は様々な切り口でピラミッドの頂点を目指す取り組みを、今はまさにそれをやっている途中です。
私どもはいつでも『山形の皆様の声、国内の皆様の声をしっかり受け止めて、それをもって海外に』というのが基本的な考え方です。
コロナ禍の影響と戦略~大変な時こそ静ではなく動で~
小売・オンラインへの着目
コロナ以前の日本酒の販売先の割合としては、飲食店向けの数量が7~8割を占めていました。ですが、コロナ禍でそれが減少したことで、小売の部分に非常に着目するようになりました。例えば、一升瓶売りが基本となっていて飲食店でしか飲めないような商品を、小瓶化し、小売店にも多く流通させたり、オンライン販売を行ったりしました。アルコールが避けられるようになったので、アルコール度数低めのリキュールやノンアルコールも力を入れるようにもなりました。
コロナ禍で大切にした3つのこと
私共では、コロナ禍で非常に大変な中、「やめること」「見直すこと」「加速すること」の三つを大切にしようと掲げることにしました。
一番難しいのは「やめること」ですね。“酒蔵は不易の塊”ですから、なかなかやめにくい。
「見直すこと」は、小売店さんと飲食店さんのバランスを見直したり、オンラインを充実させたりしましたね。
「加速すること」は、ノンアルコールや低アルコールの商品を充実させて加速させました。
やはりこういうときこそ、“静”ではなくて“動”ということで色んなことにトライをしました。
意識を高く持つために
高い向上心を持つこと
例えばお酒のコンクール。一番権威があるものを、何か一つだけ挙げろと言われたら多分、製造をやっている人間は、“全国新酒鑑評会”を挙げるのではないかと思います。
この100年以上の歴史を有する開催されている全国新種鑑評会で、金賞を連続で取った最高連続年数は十数年が最高記録です。うちも12年が最高で、2番目に良いのが6年です。
品質とは、やればやるほどその先が見えてくるようになる。先が見えると、現状維持ではなくて、その先を目指していこうと確実に思える。それが常に目標を持って、向上心を持っていくことが次につながるのではないかと思っています。
周りの環境
それから、周りにいる人や環境が与える影響も大きいと思います。
晴れの日の友はいっぱいいますが、真の友は雨の日の友だなと思います。
そして人生の師を持つことも大切です。私は東京農大を出て帰ってきたんですが、酒造りは教科書から外れるとすぐに判断できないところがあるんですね。そういう時に、色んな人と繋がっていてよかったと思います。いかに1人じゃない環境があるかによって、現状維持を突破できたり、目標を高めに設定することにつながると思います。ダイヤモンドはダイヤモンドでした磨かれないように、人は人でしか磨かれないのですから。
次の世代に向けて
後継者には、これまでに語ってきた理念を詳しくは伝えてはいないです。ただ、お酒を製造・販売していると様々な声が聞こえますので、そこを感じながら次の後継者たちがどう判断していくのかというところだと思っています。
“吟醸を世界の言葉に”
私どもには夢があり、「日本酒を世界のお酒に」したいと考えています。
お米という香りのない原料からフルーティな香りの日本酒ができるというのは日本人の素晴らしい知恵だと思います。パスツールが火入れ殺菌を確立した、はるか300年〜400年前に、日本では日本酒を殺菌して保存して安定させていたということも、日本酒の延長線上の技術と言えます。
日本酒には“日本”が詰まっていて、私どもで言うと“山形”が詰まっている。まさに日本そのもの、山形そのものなのです。山形県酒造組合の会長としては、「山形を日本酒の聖地に」することを目標としています。それが、山形の皆様に支えられてきた、私たち山形の蔵元ができる1番の恩返しなのではないかと思っています。
そしてそのように、日本酒を世界に広めるためのキャッチフレーズとして、出羽桜では「吟醸を世界の言葉に」という言葉を掲げています。
日本酒について考えたときに、「未来は明るく」とは思っていますけれども、まだまだ努力しないと明るくはならないのも事実だと思います。常に振り返り、高みを目指して、今やれることを行動していく。日本酒はお酒であるだけでなく、日本の文化を世界に発信していく役割も担っていると思っています。
しかし、灯台下暗しで、海外で日本酒の良さを伝えるより、日本で日本酒の良さを伝えることは難しい部分もあり、そこが少し足りていないところかなと思っています。ですので、これからも引き続き、日本国内で日本酒への理解を広める努力をしていくことが、もっと豊かな未来につながっていくのではないかと考えています。